トレーナーとしての想い【選手や一般の方への気持ちは変わりません】

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こんにちは青山です。

本日はトレーナーとしての想いについて書かせていただきますので、暇な人や少しでも興味がある方は是非ご一読いただけるとありがたいです。

ただ、少し熱くなりすぎてしまうと思うので、途中で見るのが飽きた人もやめて頂いて結構です。

それでも読んで頂ける方、よろしくお願いいたします。

 

先日、ある会社様との打ち合わせの時にこんな質問をされました。

「青山さんはなんでトレーナーになろうと思ったのですか?」

久しぶりに原点に返られる質問だったので、少し考えて答えさせていただきました。

僕の答えは「僕と同じ過ちを繰り返してほしくない」「やらなくてもいい努力もしなくていい」

これが僕からの答えでした。

 

・トレーナーなんて絶対になろうと思わなかった

これが僕の本音です。僕も野球をやっていましたので、高校からトレーナーの方に関わらせてもらう機会があり、色々とご指導いただいたのを覚えています。

ただ、月に2回ほどしか来られないぐらい忙しい方だったので、来られた際にアドバイスを頂くという形でした。

高校生ながら一生懸命野球に取り組んでいた僕は、色々と考えて自分に合った投げ方や、結果の出る方法を模索していました。

そして、やっといい感じになったなと思った矢先にそのトレーナーから考え方を否定されたのです。

正直今でも覚えていますが、最悪な気持ちでした。僕の何がわかるんだと思ってしまったのです。

今思うと僕も子供でしたが、その時の気持ちが大きすぎて「絶対にトレーナーには頼らない」「トレーナーという仕事にも就きたくない」と思っていたのを今でも覚えています。

 

・誰にも頼らない大学野球生活

大学に進み、強豪校ではないですが野球を続けていました。絶対に一人でやり切ろうと、そんな思いでした。しかし、そんなに甘くありませんね。急に結果が出なくなる時期がありました。

野球をやめようとも思いましたが、当時アルバイトをしていた所でピラティスの指導がスタートしたのです。

 

・ピラティスを学び始める

そして、何も考えず学ぼうと思いましたが、働いていたスポーツクラブの社員さんは忙しくて、誰もピラティスを教えてくれませんでした。笑

ということで、自ら大阪へ資格を取りに行くことにしたのです。

そこからピラティスを学び続け大学を卒業し、アメリカに本格的に学びに行きました。

 

・アメリカで感じた可能性

アメリカで実際に学んでいくことで本当にピラティスについて可能性を考えるようになりました。半身不随で歩けない人がリハビリに来ている姿や、病院ではどうにもならない人がピラティスを通して効果を感じていたりと、その現場の雰囲気といったら本当に今でも忘れられません。

しかし、まだまだ日本では浸透していませんでしたので、コンディショニングの一部だとも思い、鍼灸・按摩マッサージ師の学校に通うことにしたのです。

 

・専門学校で感じたこれからの治療家の働き方

確実に、毎年鍼を受ける方は減っていると思います。だって、専門学校に通っている生徒ですら「鍼は怖いから打ちたくない」「けど、治療はできるようになりたい」と本当に矛盾していることを言っているのです。

それぐらい、「できれば痛みなく治療を行いたい」という人たちが増えているのかとも感じました。

 

・絶対にトレーナーになりたくない→トレーナーとして必要な人になりたい

僕は、個人的にトレーナーという仕事はとても抽象的な仕事だと思っています。

しかし、「結果に対して遠回りをしてほしくない」という思いをもってトレーナーをしています。

また、「一人一人に寄り添えるトレーナー」こんなことを目指しています。だから僕がみれる人数も限りがあります。

30人~50人ほどでおそらく打ち切らせていただくと思います。安くありません。時間も思うようにとれるかわかりません。

でも結果は残します。寄り添います。

自分と同じ思いを皆にしていただかないためにも、そんな形でやっています。

 

青山竜太

 

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